「ベルリンでも、何も変わりがありませんでした。その前のスイスでも。人は、生まれつき孤独なのです」アインシュタインの言葉である。彼のような飛び抜けた性格の人でも孤独を感じた。現代社会は他者と触れ合いがない人たちを日々生み出している。社会は豊かになり、ラインやSNSが発達して何万人のフォロワーを持っていても孤独はやってくる。
孤独はそっとやってくる
男たちとの楽しい飲み会が終わり部屋に帰って窓に映る独りの自分を見たとき、仕事に疲れ知らない居酒屋で酒を飲み店内の笑い声を遠くにきくとき、よりそうように孤独はやってくる。孤独はいつのまにかそっとやってくるのである。
そんなとき、後ろから抱きしめてくれる女性がいたどうだろう。柔らかい胸が背中に押し付けられたらどうだろう。カウンターの横で笑顔を見せる女性がいたら、孤独は春の日差しを浴びた淡雪のように瞬く間に消えてしまうにちがいない。仕事、友情、趣味、色んなことを言っても男の孤独を癒やしてくれるのは女性だけだ。
絶対的な孤独に生きる男といえばデューク東郷ことゴルゴ13が筆頭である。そんな彼でも時には女性と過ごす。自分の上で乱れる全裸の女性を見上げながら葉巻をくゆらし考え事をする。それでも女性は必要なのだ。
孤独はどこからやってくる
学者アンデッシュ・ハンセンは、著書「スマホ脳」で人類が誕生してから生まれた一世代を一つの点で表した。誕生から現代まで20万年間の世代数は1万個の点になる。そのうち電気や水道を体験した世代は8個、コンピューターや携帯電話、飛行機を経験した世代は3個、スマホやインターネットに触れる世代にいたってはわずか1個の点にしかならなかった。
人間の脳は9992個の間、現代の科学技術と関係なく自然に過ごしてきた。8対9992、3対9997、1対9999、その期間は人間の脳が現代のテクノロジーに馴れるにはあまり短い。脳は技術の発展についていけず最新技術のギャップは色んな問題を起こす。孤独の深刻化もその一つである。
孤独は人類が生存戦略として集団生活を道を選んだときから始まった。一人一人の個体は弱いので集団になり自然の脅威や動物の襲撃に対抗した。集団から離れた個体は生存が困難になり遺伝子を残せない。群れや共同体で暮らせる個体のみが子孫を残せた。やがて人は共同体に帰属すること自体に喜びを感じるようになった。
脳は共同体のために働いていると認識すると喜び、報酬として幸福感と身体を健康にするホルモン、オキシトシンを分泌する。共同体から離れたり貢献していないと意識したときに孤独という警報を発する。孤独になるとオキシトシンは分泌されず、幸福感を感じなくなり、集中力や判断力が衰え、睡眠の質が悪くなって心臓病や癌のリスクは高まり老化が早くなる。
オキシトシンは肉体的な触れ合いでも分泌される。母親が赤ん坊にお乳をあげるとき、ハグをするとき、恋人と肉体の交わりをしたとき、肌と肌が触れ合えばオキシトシンが分泌される。初めて恋をした若い女性が輝くばかりに綺麗になるのは、ハグ、キス、セックスと進んで大量のオキシトシンが分泌されるからではないだろうか。オキシトシンが分泌されれば孤独感は薄れる。
快楽を肯定する人たち
ちなみにセックスの絶頂期は、快楽ホルモン内麻薬エンドルフィンが分泌される。脳は快楽に満たされる。チベットやネパールで信仰される上座部仏教に歓喜仏がある。日本で信仰される歓喜仏(聖天様)とは異なり、男性が女性とまぐ合う、つまりセックスをする歓喜仏である。
座位で交わるその姿は絶頂を迎えエンドルフィンが放出されている状態を表現している。男性も女性もイって頭が真っ白になる瞬間は悟りに近づいているらしい。女性の快感がどれほどかを知らないが、男よりはるかに悟りに近づいていることは間違いないだろう。
平安時代、僧人覚は真言密教立川流を創始した。教義がチベット仏教に似ていたため、性的儀式を行う不届きな宗教と思われ弾圧をされた。宗教は性を抑制するために生まれた説があるくらいだから性的儀式は認められない。キリスト教でも性はタブーであり、黒ミサの儀式やヴァルプルギスの夜の乱交は厳しく取り締まれた。
現代のような灯りの無い暗い中世の夜、月明かりや蝋燭の灯の下で行われる儀式や乱交の妖しさは人の琴線に触れる。美人も美男も関係なく全てを忘れて欲望を解放する。そんな光景に興味をそそられる人は少なくないはずだ。
18世紀、イギリスの放蕩貴族サー・フランシス・ダッシュウッドは「地獄の火クラブ」を組織した。彼はエロスを表現した建物や彫刻に満ちた豪邸に、当時にロンドンのち名人を集め悪魔崇拝の儀式と乱交を行った。男性会員は修道士、地方から集められた娼婦が修道女に扮して宴に参加したのである。
偽物といえど清廉な修道女が悶えるのである。背徳感からの興奮はすごかっただろう。こうなるとオキシトシン、エンドルフィン、精液が奔流となって溢れ孤独は影も形も無くなったことだろう。
孤独からの脱出する方法
このような宴で性欲を満足させてもやがて一人の時はやってくる。孤独はそのときやってくる。貴族にもサラリーマンにも役員にも国会議員にも孤独はやってくる。宴が賑やかなほど揺り返しは大きく寂しさも大きい。そんなとき傍らに愛する女性がいれば孤独は去っていく。
だが自分を愛してくれる女性はいないという男は多くいる。そんな男が孤独から脱出するにはどうしたらよいのか。「孤独の科学」の著者ジョン・T・カシオポ は利他的な行為が必要という。現代人の脳は自分が集団や共同体に貢献していないと認識したとき孤独という警報を出す、だからその反対をすればよいのだ。
自分から誰かに話しかける、誰かの手助けをする、ホームレスに食べ物を上げる、利他的という行為をする、それがきっかけになる。ある女性は、イタリアへ出張したとき出張先で疎外されて強い孤独に苛まれ、とにかく誰かと話したいと思う。彼女は、修理の必要のない靴を持って靴屋へ行き主人と話した。店の主人と交流が始まり孤独から開放された。
SNSで何万人と繋がっても癒やされない
柔らかな指に包まれる感触、豊かな乳房、耳元にかかる吐息、甘い声、匂い、それらを感じて、脳は幸せなホルモンを出し幸福感を感じる。人の脳は自然の中で生きていた頃のままである。脳は現代技術に追いついていない。ラインやSNSで何万人とつながっても人の脳は孤独は癒やされないのである。
利他的な行為をするのも億劫だ、彼女もいない男はどうしたら良いのか。脳がバーチャルやリモートで幸福を感じるように進化するまで待つには人の一生はあまりにも短い。どうすればいいのだろう。もてない男はとうめん風俗でがまんするしかない。肌と肌の触れ合い、料金を払うのは利他的行為といえないか。男には女が必要である。風俗はそれを満たしてくれる方法である。
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