たいていの男はアダルトビデオのお世話になる。人はいけないことに興奮する。始めてAVを見たときの興奮と背徳感は忘れられない。AVを見て興奮すると必ず手の上下運動が始まる。世界中で一夜に行われる上下運動の回数はどれくらいの量になるのか。自家発電と呼ばれるその行為を電力に変換できれば、太陽光パネルで無様な景観を生み出す必要がなくなるかもしれない。
アダルトビデオ大国 日本
日本は世界有数のAV大国である。Pornhubには日本女優のAVで溢れている。台湾やタイのAVショップにビデオは殆どが日本メーカーのものだ。今の若者はAVのお陰で当たり前のように女性器を見ることができるが、昔は女性と深い関係にならないと難しかった。当時の若者のオ○○コへの憧れはたいへんなものだった。
過去にも白黒のエロ写真やブルーフィルなど見る媒体はあったが、入手が難しくて高価だった。裏ビデオが流通するようになって少し安くなった。AVが多く作られるようになると「小林ひとみ」や「樹れいこ」などのスターが誕生し、裏ビデオでも「洗濯屋ケンちゃん」や「テレクラ洋子」の名作が作られた。男はなんとか手に入れた貴重なビデオをオカズに何度もしたものだ。
インターネットはその状況を劇的に変える。世界中の無修正のポルノがあっという間に見られるようになったのである。綺麗な巨乳の女の子たちのあそこや、美人があられもない姿で男にされるシーンがいくらでも見られる世界が突然出現した。思い立ったときに自慰のオカズが得られる社会が到来した、性の世界に革命が起こったのである。
そして、モザイクも陰毛も無くなった
D2passは、ストーリー性を重視する一本道から、熟女専門のパコパコママや若い娘専門のカリビアンコム、素人専門などあらゆるジャンルのサイトが揃っている。このような無修正サイトが登場すれば、モザイクのかかるAVが駆逐されるはずなのに、依然無修正のAVサイトは活況を呈している。これは考えて見ると不思議なことだ。
無修正のAVは、女優の質が高い、若くて綺麗な女性もいれば清楚な熟女もいる。カメラマンの技術も高く興奮させるアングルが多い、ストーリー性の強い作品がある。そうであっても、モザイクは圧倒的に不利なはずである。それなのにAVが無くならないのは、モザイク自体に効用があるのではないか。
見たい所が見えないジレンマは欲求と想像力を高める。隠されているから想像し、想像は脳をさらに興奮を呼ぶ。無修正はあっけらかんとすべてを見せてくれるが想像の働く余地がない。光ばかりで陰影がない。そのうえ最近の女優はイスラム教徒でもないのに毛が無い。これでは小さい娘を風呂に入れるのと同じで味気ない。隠されると見たい、モザイクは男の妄想を増加させるのである。
モザイクは妄想のスィッチ
若い頃は毎日のように自慰をする。年がら年中発情している。このような動物は人間だけだ。どうしてこうなったのかというと、人間の赤ん坊は他の霊長類と異なり体温を維持できることから親以外でも世話ができるようになった。集団で子育てを行うので、母親は赤ん坊と離れらて過ごす時間が持てる。そのため、発情期がなくなりオスもメスも一年中年発情するようになったらしい。
そうなると別の問題が起きる。牝の取り合いによる争いが激化するなどの他の霊長類に無い問題が発生した。それを防ぐため宗教や一夫一妻制が生まれたという説がある。キリスト教も仏教も厳しく女犯を禁じる。イスラム教は禁じていないが欲望は妻だけへ向けないといけない。
ジャレッド・ダイヤモンドは、性交を人前で行わず隠すのは人間だけと述べている。街に野良犬がいたころ、犬たちは往来でへいきで子づくりをしていた。子供たちは、犬は結合するとしばらくは抜けないので離れられない2匹に水をかける意地悪をした。人間の性は奇妙に進化しているらしい。
奇妙に進化した人間の性は、宗教や社会的タブーによってたいへん抑圧されている。しかし人は好奇心が強いので抑圧されたものに強い興味を持ち禁じられると犯したくなる。隠さねばならない抑圧があるからAV文化が生まれた。発情期が無いのでいつでも見たいという欲望が産業として成立させたのである。
隠したいレベルは人種や文化によって異なる。マイクル・クライトンの北人伝説のバイキングたちは人前でも平気で交わる。仲間に加わるイスラム人のイブン・ファドラーンはそれにとても驚く。映画化された13ウォリアーズにはその光景は描かれていない。
溜池ゴロー監督は、女優が裸にならない、パンチラや胸の谷間と豊かお尻を強調するだけの作品を撮っている。その姿からいろんなことを想像して欲望が増す。モザイクはその作品のような効果をAVに与えているのではないだろうか。
妄想は欲望の泉
パンチラも同じである。よく考えるとパンツといってもただの布である。布の向こうにあるものも知っている。それなのに、目の前に短いスカートの女性が座ると思わず見てしまう。見えると一日が幸せになる。
人は生殖と性を分離させた唯一の生き物である、女性の色気の半分は男の想像が生み出している。モザイクや無花果の葉は妄想のスィッチである。現代の若者たちは、生まれたときからネットに接し露わな裸体を見ている。豊かな性の世界は淫靡な想像が不可欠であるが今はそれがない。
全てが晒された世界は、想像や妄想のない乾いた砂漠で密林のような生物多様性に欠けている。現代の若者の性欲が弱いのはそのせいではないだろうか。私たちはモザイクを楽しみ妄想力を鍛えねばならない。脳の思考回路から妄想する機能が抜けてしまわないように。
とは言うものの、見たいところは見たいし、したいことはしたい。あるべきところにはあるべきものが欲しい。もし陰毛が無かったら浮世絵の魅力は半減してウタマロという英語もなかったかもしれない。女性の陰毛は未来に残して欲しい。