夜の楽しみ アダルトビデオ とモザイクの効能

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たいていの男はアダルトビデオのお世話になる。始めてAVを見たときの興奮と背徳感は忘れられない。見てはいけないものを見てしまった、母も同じだろうか、驚きとともに少年は大人になる。やがて自慰を覚え母とビデオは別の存在になる。世界で一夜に行われる自慰の回数はいったいどれくらいの数になるのか。自家発電とも呼ばれるその運動を実際に電力に変換できれば、太陽光パネルで無様に自然を破壊しなくてもよいかもしれない。

アダルトビデオ大国 日本

日本は世界有数のAV大国である。Pornhubには日本女優が溢れている。台湾やタイのAVショップに置かれている作品の殆どは日本メーカーだ。今の若者はAVのお陰で当たり前のように女性器を見られる。ほんの30年ほど前それは至難の技だった。女性と深い関係にならないかぎり見るのが難しかった。だからオ○○コへの憧れはたいへんなものだったのである。

過去も白黒のエロ写真やブルーフィルなどの媒体はあったが、入手経路が不明で著しく高価なもので若者に手がでるものではなかった。裏ビデオが流通するようになり価格が下がったがまだ高価だった。それでも「洗濯屋ケンちゃん」や「テレクラ洋子」の名作が登場し、「小林ひとみ」や「樹れいこ」などのスターが誕生すると、非合法だったが男の欲望は止まらず流通量が拡大していった。若者が貴重なビデオで何回もする時代になる。

インターネットはその状況を劇的に変える。世界中の無修正のポルノがあっという間に見られるようになった。綺麗な巨乳の女の子たちのあそこや、美人があられもない姿で男に犯されるシーンがいくらでも見られる世界が出現した。思い立ったときに自慰のオカズが得られる社会が到来する、性の世界の革命である。

そして、モザイクも陰毛も無くなった

D2passは、ストーリー性を重視する一本道から、熟女専門のパコパコママや若い娘専門のカリビアンコム、素人専門などあらゆるジャンルが揃ったサイトである。このような無修正サイトが登場すれば、モザイクのかかる合法的なAVは駆逐されるはずだ。だが依然、修正されたAVサイトは活況を呈している。これは不思議なことだ。

修正されたAVは女優の質が高い、若くて綺麗な女性もいれば清楚な熟女もいる。カメラマンの技術が高く興奮させるアングルが多い、ストーリー性の強い作品がある。そうであっても、モザイクは圧倒的に不利なはずである。それなのに修正AVが無くならないのは、そのモザイク自体に効用があるのかもしれない。

見たい所が見えないジレンマが逆に欲求と想像力を高め興奮させる。隠された所を想像して脳は興奮する。無修正はあっけらかんと全てを見せてくれるので想像力の働く余地がない。光ばかりで陰影がないのだ。最近の女優はイスラム教徒でもないのに毛が無い。子供が風呂に入るの見るのと同じで味気ない。見たい所を隠すモザイクは男の妄想を増加させるのである。

モザイクは妄想のスィッチ

若い頃、男は毎日のように自慰をする。年がら年中発情しているのは人間だけだ。人類の赤ん坊は他の霊長類と異なり体温を自分で維持できる。それが親以外の人間でも子供の世話ができるようした。子育てを集団で行うので、母親は赤ん坊と離れて過ごす時間が持てる。その能力が、人類から発情期をなくし、オスもメスも一年中年発情するようになった。

そうなると別の問題が起きた。他の霊長類に無い牝の取り合いの激化という問題が発生したのだ。それを防ぐために生まれたのが宗教や一夫一妻制だ。キリスト教も仏教も厳しく女犯を禁じる。イスラム教は禁じていないが欲望は妻だけへ向けないといけない。

人間は他の動物と異なり成功を隠す、ジャレッド・ダイヤモンドはどうして人間の性はこんなに奇妙に進化したのかと問いかけている。野良犬が街をうろうろしていた時代、彼らは道端で子づくりをしていた。犬は結合するとしばらくは抜けない、悪ガキは離れられない2匹に水をかける意地悪をしたものだ。

奇妙に進化した人間の性は、宗教や社会的タブーによって常に抑圧されている。人は強い好奇心から、タブーとされたものにより興味を持つようになっている。禁じられると犯したくなる。だがタブーを破る罪悪感が伴う。見てはいけないから、見られない行為だから、余計に見たい欲求がAV文化を生み、発情期が無いのでいつでも需要があることが産業として成立させた。

隠したいレベルは人種や文化によって異なる。マイクル・クライトンの北人伝説のバイキングたちは人前でも平気で交わる。仲間に加わるイスラム人のイブン・ファドラーンはそれにとても驚く。原作を映画化した13ウォリアーズにその光景は描かれていない。そりゃそうだろうね。

溜池ゴロー監督は、女優が裸にならない、パンチラや胸の谷間と豊かお尻を強調するだけの作品を撮っている。想像を最大限にして欲望を増すのだ。モザイクはその作品のような効果をAVに与えているのではないだろうか。

妄想は欲望の泉

パンチラも同じである。パンツといってもただの布である。布の向こうにあるものも知っている。それなのに、目の前に短いスカートの女性が座れば思わず見てしまう。見えると一日が幸せになる。これも隠されたものを見たいという欲望のなせる技なのだ。

人は生殖と性を分離させた唯一の生き物である、女性の色気の半分は男の想像が生み出している。モザイクや無花果の葉は妄想のスィッチである。現代の若者たちは、生まれたときからネットに接し露わな裸体を見ている。豊かな性の世界は淫靡な想像が不可欠であるが今はそれがない。

全てが晒された世界は、想像や妄想のない乾いた砂漠で密林のような生物多様性に欠けている。現代の若者の性欲が弱いのはそのせいではないだろうか。私たちはモザイクを楽しみ妄想力を鍛えねばならない。脳の思考回路から妄想する機能が抜けてしまわないように。

とは言うものの、見たいところは見たいし、したいことはしたい。あるべきところにはあるべきものが欲しい。もし陰毛が無かったら浮世絵の魅力は半減してウタマロという英語もなかったかもしれない。女性の陰毛は未来に残して欲しい。

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