桂南光が若い頃「初めて女性を知ったとき、こんなに柔らかくて気持ち良いものがあったのかと夢中になってしまった」とテレビ番組で語っていた。誠にその通りであの柔らいものに包まれたときの快感は比較するものがない。

女性という快楽
男性は女性の魅力に勝つことはできない。アントニウスはクレオパトラに、唐の玄宗皇帝は楊貴妃に、マルコス大統領はイメルダに出会い人生を失敗した。現在ではカルロス・ゴーンが奥さん(名前は知らない)によってヘンリー王子はメーガンさんによって失敗しそうになっている。
高名な人ですらそうなのだから、まして庶民は星の数ほど失敗する。女人禁制は女性を締め出そうとする野望でなく魅力から逃れようとする男のはかない抵抗である。差別と批判するのは弱いものいじめだ。女性は男にとってそれほど蠱惑的なのである。

男の気持ち、女の気持ち
20歳から28歳の男性のうち4割が性体験がない、それが最近の調査で明らかになった。男性の精力のピークは第2次成長期から20代であり30代からは徐々に減っていく。性的機能の最盛期に性体験をしなくて大丈夫なのかと他人事ながら心配してしまう。老いてくると快感もその精力のカーブに比例しているのがわかる。下半身の痺れるような快感は若者だけの特権である。あの快感を知らない人生は寂しい。
男は一度目の恋愛にたいてい失敗する。初めて知るセックスに溺れてしまうからだ。女は求め続ける男に、猿には失礼だが「サルみたいにそればかりは嫌」と思う。男の初めての恋愛期、精嚢はフル稼働し48時間で精巣を満杯にする。男の脳は性欲と快感に支配され会うたびに女の身体を求める。
女はそればかりが続くと疑いを持つ。「私を愛しているのではなく、私の身体が目的ではないのかしら」女は男の愛を確かめるために拒否をする。男はその気持ちがわからない。男にとって、この時期は愛とセックスは同義語になる。拒否をされると不安なり愛を確かめるために更に求めてしまう。
男は愛のために身体を求め、女は求められることで愛を疑う。やがて女は「そればかりは嫌なの、食事や遊びにも行きたかった」と他の男のもとへ去っていく。男は女が去ってようやく女の気持ちに気づくのである。
二度目の恋愛は「そればかりの危険性」を学んでいるから上手くいく。夜の街で普通のジジイがなぜこんな美女と一緒にいるのだと思うカップルを見る。ジジイは(金も勿論だが)女性の気持ちを知っている。親父は女性の心のツボを知っているので、パパ活でも何でもモテる。何事も経験が必要なのだ。

愛あるセックスの快感
射精の快感は20代が頂点だろう。女の柔らかい手に包まれ優しく動かされたりしたら、我慢しても我慢してもすぐに発射してしまう。足の付け根から痺れるような快感が腰に広がり、精巣に痛み似た感覚がやってくると「あぁだめだ」になる。黒鉄ヒロシはこれを打ち上げ花火に似せて戯画化した。
さすが漫画家といえる表現であるが、30歳を過ぎると打ち上げ花火が線香花火になってくる。日本のAVが中出しという技法を多用する理由である。男優も年とともに衰える、中出しだったらニセ精液が使えるのだ。米国のポルノ男優は、宗教的理由もあって基本的に外出しである。映画の演出上派手に飛ばすことが要求される。飛ばせる男が優秀な男優なのだ。野球やゴルフと同じように飛距離が武器である。
話がそれたが、男は性欲の洪水と別れを経験して初めて女性の性の尊厳に気づく。難しい失敗を経験して女性の取説が分かるのだ。男はその体験を肉体的な精力のピーク時にするのが本来の姿である。4割もの男が性体験を持たないのは憂慮すべきことだ。
性体験は色んな場所で体験できる。風俗や年上の女性との出会い(漫画やAVの定番)がある。どこでしても肉体的にはたいへん気持ちが良い。だが気持ちは良いが欠けるものがある。自分を信頼して預けてくる身体や演技が入らない喘ぎ声はない。
女は愛があるとき心も身体も全て解放して大きな快感を得る。それが男にも伝染する。セックスは愛があったとき格段に気持ち良くなる。残念だが風俗にこれはない。愛は快楽をもたらす最高の触媒なのである。

性の快楽は世にあまたあるが、生物として性の能力の頂点にある時期に、愛しあうセックスほどの快感は他にない。最高の夜の楽しみは愛あるセックスだろう。